vol.3 「真鍮ネジ」らせんの迷宮
一夜にして黄金が鉄へと変化する不思議な話
マイナスの真鍮ネジは風前の灯。メーカー生産が終了してからもう30年程度たって、世の中から完全に忘れ去られつつある。マイナスドライバーが店頭から消える時代だからそれも当然と言える。
メーカー生産は小さな工場で散発的に作られることが今でもあるが、機械ネジより木工ネジの方がマイナスネジのニーズは弱い様だ。さらに言えば、真鍮は鉄ネジよりさらにニーズがない。つまり、真鍮のマイナスネジなど余程の物好きで無いと・・・ということになる。
それでも、アンティーク家具がプラスネジで直されているのを見つける時ほど興ざめなことは無い。自分が見るだけでプラスネジだと時代的にありえないから、無理な感じがして許せない。こればっかりはお客さんというより、工房側のこだわりである。
たとえ見えないところであろうと、構造強化の理由など余程特殊な理由が無い限り、新素材は使わない。真鍮ネジが使われているところは必ずマイナスの真鍮ネジで治す。
といっても、リノベート系の建築関係の仕事の場合は、常にmakitaのご厄介になっているのでコードビスの使用量もアンティークショップとしては恐らく日本では屈指のレベルになるのだろうというのも舞台裏の実情。
膨大な在庫が常に必要だが、しかし、次にどれがいつ使われるのかわからないのが修理業のサガ
備蓄を増やさざるを得ない事情
ネジには多様な形があり、長さも違えばネジピッチも違う。色々な用途で様々なサイズが必要になる。
修復は生産するのと違い、材料は個別の「患者さん」に左右されてしまう。
新品が市場に無く近所の金物屋さんで発注できなくなっている以上、マイナスの真鍮ネジはどうしても大量備蓄しておかないと修理に対応できなくなってしまう。まだしも、代わりがある金具類とは少し事情が違う。
今や真鍮ネジはほんとうに手に入りにくい。しかしだからと言って高額な転売品に手を出すとコスト超過になってしまう。だから、金物屋さんをめぐっては少量の在庫を少しずつ求めて備蓄することとなる。
入手できないという実情が大前提としてあり、アマゾンにもモノタロウにも無いのだからこれはもうどうしようも無い。
あえて作るなら最低ロット10000万本。しかし家具生産では無く家具修理業という事情からいうと、常にどのネジが必要になるかはわからない。けっきょく同じサイズのネジにそこまで大量には投資できない。つまり、マイナスネジの製造を発注することも不可能ということにもなる。
力加減を誤ると真鍮ネジは曲がり、折れ、ゆがむ。そんな風だから一般の人が誰も見向きもしなくなるのはわかる。
しかし、たとえ蝶番の固定であろうとプラスネジはやはり興ざめであると強く感じてしまうこだわりを持つ以上、工房では今や製造されることがほぼなくなったマイナスネジの必要性は変わらないのである。
現在、機械ネジも合わせると恐らく数百種類の真鍮ネジを在庫しているが、それとていつ果てるかも知れない。仕入れ部門には常に「マイナスネジ。マイナスネジ。」とまるで呪文の様に仕入れをせがむ毎日で、その度にあまり良い顔はされない。
確かに金が鉄に変わっている
「手に入りましたよ!」
「手に入りましたよ!!」
仕入れスタッフのC君が電話を入れてきた。少し前に社内の飲み会の席で愚痴っていたことを覚えていてくれたのだろう。道端にあった古い金物屋さんでマイナスの真鍮ネジがあったので、数日中に工房まで届けるとのこと。
しかし、翌日C君から明らかに狼狽した声で電話があった。
「真鍮が一晩で鉄になりました!!」
いやいやお店が間違えたか何かなのだろうと工房のスタッフが話していると、数日後に「一晩で鉄になった」ネジの実物が届いた。
明らかに違うのだが・・・。
あっそういうことだったのか。
実物を見るとC君のいうことが間違っていないことが分かった。確かに金色だったネジが錆で変色している。店頭で渡された時、金色に光かがいていたのだろう。
真鍮は銅(60%程度)に亜鉛を混ぜた合金でさらに錫なども加えて用途によって使い分ける。銅の比率により品位と価格が変わる。黄道とも呼ばれ世界中で昔から使われてきた素材だ。
しかし、明らかにサビは鉄サビであり酸化鉄であって、黄銅が変成することなどありえない。仮にあれば錬金術に近い。鉄の方が価格が安いのだから、鉄から金へと価値が上がる錬金術とは逆にC君はタヌキにでも化かされたことになる。
魔法の原因は新鮮な空気
もちろん、ある程度観察力があれば、はなからこのネジが真鍮ネジでないことが分かっただろう。視覚以外でも比重も感触も全く違う。
種明かしをすればこれは鉄に金メッキを施した木螺子であり、昔からある製品だ。真鍮ネジの使えないが、強度は必要な部分に真鍮ネジに変わって使われたり、単純に真鍮に対する安物の代用品として使われてきた。
仕入れ部門で修行中のC君にはそもそもそうした知識が無く、金色のネジを真鍮ネジだと誤解してしまった。問題は店番のおばあさんが耳が遠く、やっと探して「真鍮ネジ」を探し出してくれたという経緯。
魔法の種明かしはこうだった。
薄いメッキを施された鉄ネジが長期在庫で金物屋さんの倉庫に眠っていた。もちろんピカピカの状態で・・・。数十年ぶりにC君がそれを購入し、その段階で箱の中に新鮮な空気が入り込む。その時点から急速に酸化が始まり、メッキ部分を浮かして下からサビが吹き出した。そして翌日にはネジの山の表面は全て錆びたネジだけになる。
少し恥をかいたのはC君にとっての勉強代。そして鉄ネジにしては高い価格は向日町工房としての勉強代。
次からは仕入れ部門の若手に物品購入を頼む時にもう少し丁寧に依頼しよう。
向日町工房
鍋底の真鍮ネジ。やはりこれがないとアンティークとして決まらない。