「器直しの日本史展」 Pro Antiques "COM"
かつての日本。割れた器を使い続ける「それでも」を考えてみました。
器が欠けた。器が割れた。「いま」の私は少しの躊躇もなく、リサイクルBOXの埋め立てゴミの分類へと、それを投げ入れるだろう。大切にしていたとしても、器が破損した瞬間。「いま」の私にとって、それはゴミにすぎないから・・・。割れてしまえば、もうそれは器ではない。そう「いま」の私は考えている。

大量生産と大量廃棄の時代に、割れたりヒビの入った器を直して使い続けるという「それでも」の試みはどんな意味があるのでしょうか。器を直すことを通して、「いま」のわたしにとってものとの付き合い方を捉え直してみる試みでした。