気泡とゆらめきの「ひかり」の世界へ・・・

意識しちものではない味わいの自然さがその魅力

 明治から大正そして昭和の初めまで。日本の古いガラスの魅力は、少しずつ改良をかさねられつつ変化していった歴史の上に、素材と技術の絶え間ない変化の中で生まれた無意識の味わいによって生み出されたものです。
 
 現代のすぐれたガラスの製造技術などなかった時代に、試行錯誤のなかで原料を調整しながら、拙い技術でけんめいに作られたガラスの中には、時代の変化が結晶してかたまった一瞬の時間のゆらめきが封じ込められ残っています。
 
 いびつで、そしてもろく、ゆらめいて・・・ガラスの中で光が踊ります。てのなかで傾けると万華鏡の様に様々な表情が現れては消えていきます。
 

ゆらめく時間

 

閉じ込められた「昔の光」

 光にかざし見つめ続けているとけっして飽きることもない光の絵巻は、意識され、計算されて作られたものでないからこそ、不思議な温かい魅力を放ちます。
 
 当時の同時代の欧米のガラスは、もっともっと工業的に完成されたレベルのものが作られていました。日本のガラスの工業生産は江戸時代のビードロ製造の手工業的な工芸的段階にとどまったものからの手探りを続け、なかなか抜け出せ無いでいました。欧米の先進技術を受け入れつつも、決して完成された均質な量産品ではなかったのです。
 
 ですから、欧州の製品の様な優美な精緻さも、アメリカの製品の様な工業技術上の無機質の魅力も待ち合わせておらず、いびつで、もろくて、ゆらめいており・・・はかない拙さがその特徴です。
 
 

がらすの花

 

素朴と洗練。はかなさと力強さ。

 欧米のアンティークガラスの良さを日本の和ガラスには見つけることはできません。優美な洗練性と正確無比な造形、緊張感を封じ込めた光線のきらめき。それが欧米のアンティークガラスの魅力です。
 
 江戸時代の薩摩ガラスなどには、欧米のガラスとは違う独自の洗練性とすぐれた美術性があり、それは美術工芸上の至高のうつくしさを目指す高みがありますが、明治以降の日本の和ガラスには、そうしたガラスとは異なった計算されていない未完成のゆらめきがその魅力としてあります。
 
 文明開化の戸惑いと日本庶民の生活の力強さが乱反射し、その光の乱舞は今も和ガラスの中に封じ込められているかのようにきらめき、淡い光線を放ち続けています。
 手に取ると止まっていた時間が動き出すかのように伝わってきます。
 
 
Pro Antiques "COM"

ご注意

昭和初期頃までの日本の工業ガラスは耐熱及び耐衝撃力がありません。温度変化や衝撃に対して極めて脆いため、現代ガラスの様な取り扱いには向きません。しかし、現代まで現実に多くが伝わっている様に、取り扱い方さえ間違わなければほぼ恒久的に使用し続けることが可能です。
(オーブンレンジ・電子レンジ・食器乾燥機などは使用できません。)