「古民具」日々の生活が産み出した無作為

かつてそれはどこにでもあった生き方・・・。

 木や草や綿、皮や粘土・・・身の回りにある身近な素材を使って、生活のための用具を作ることは、日本の長い歴史全体から見ればほんの少し前まで当たり前のことでした。

 先祖から伝わった様々な生きていくための知恵の結晶として、生活のための道具を作り、それをより使いやすいように自らも改良を加えつつ、次の世代に伝えていく。囲炉裏端で祖父母がつくる道具を見て育ち、それをやがてじぶんも孫に伝えていく。

 そうして作られた数多くの道具は、使われていく中で磨耗し、よれ、磨かれて独特の風合いを力強い存在感とともに宿す様になる。それが民具の魅力です。
 
 生き物の様な確かな存在感がそこに宿っています。
 
 

消えいく民具

 海外製造の廉価な使い捨て製品が日常にあふれる様は、もう都会も地方も変わらなくなりました。道具を大切に使い込んでいくのではなく、はじめから簡単に壊れてしまうものを次々に買い換え、簡単に捨てていく。

 そうした世の中で、民具はもはや伝統工芸の民芸品として、実用からはなれ、生活の中で作られないなりつつあります。
 
 実際に樫の木でできた木ベラを100年間使い込み、世代を超えてつたわえていくというあたりまえだった習慣は廃れました。親から子へ何かを受け継いでいく重みも生活の中から失われつつあります。ライフスタイルも日本中、どこもたいして変わらなくなりました。
 囲炉裏の自在鉤や小豆を洗うための大型の竹ザルはつかわれる必要性さえ失ってしまったのです。
 
 何十年と使い込まれ、手ずりと磨耗で光り輝く木製民具の美しさは、高度経済成長以降の生活の激変によって、作り手も使い手も失い、やがて山村に人が絶えれば、民具は蔵の隅や家の軒下で人知れず朽ち果て失われていくのです。
 使われなくなった民具はみるみるその存在感を失います。
 
 

人の力をかりて残っていく・・・。

 Pro Antiques "COM"はそうした民具を少しづつ集めています。地域の資料館や博物館に収まりきらない民具たちを埃を払って集めています。
 
 もちろん学術的意味合いから言えば、古民具として民間に行き渡るより、民俗資料として収集整理される方が社会的な意味の広がりがあることは知っていますが、地方行政の財政逼迫の中で収容予算は削られ、もはやそこからこぼれた道具たちは家に飾ろうという数寄者の力を借りなければ、失われていくだけのものなのです。
 
 古民具にはかつての人々の日常の息吹が息づいており、厳しく温かい日々の生活のぬくもりが残っています。それに手を触れるとき、そこには失われたものの大きさが見えてきます。
 
 それを偲ぶこころとともに、古民具も崇敬をこめて残していきたい・・・それを惜しむほどの魅力が古民具には溢れています。
 
Pro Antiques "COM"